SHISHIプロフィール

SHISHI
SHISHI

はじめまして!「波瀾万丈人生FP」(笑)のSHISHIと申します!

プロフィール情報を読んでいただき、ありがとうございます!

このブログの記事が、少しでも皆さんの役に立てれば光栄です。

2000年12月にファイナンシャルプランナー(以下、FP)の資格を取得後、

資産形成や保険の相談を中心に、現役のFPとして日々活動しております。

1.ブログ開設のきっかけ

ブログ開設のきっかけは、FPとしての理想の姿と現状とのギャップを感じたからです。現状は、保険商品の販売を行うことが収入に直結する、FPという肩書を持った保険募集人という立場であることから、表向きは中立的な立ち位置ながらも、保険の成約をいただくことをゴールとせざるを得ない環境に身を置いていることにより、どうしても、お客様へのアドバイスに偏りが出てしまうことへの罪悪感のような感覚を持ちながらの、FPとしての活動への限界を感じ、ブログを通じて正しくて有益な情報をお届けしたい!という本来のFP業を行うための一環としてブログに挑戦することにしました。

2.自分史

あまり興味ないと思いますが(笑)波瀾万丈人生FPと名乗るだけあって、FPとして自己開示するには勇気のいるような、アウトローな人生を送って来ているので、少々お付き合いいただけると幸いです。

2-1 幼少期~小学生

高度経済成長期真っ只中で生まれ、父母、祖父母、弟の6人家族で何の不自由もなく、暮らせていたことに、この文章を書きながら改めて感謝しているところです。ちなみに、成績は中の上くらいで、野球などの外で遊ぶことが好きという、活発かと思いきや、性格はおとなしめ、真面目な優等生タイプの少年という感じでした(笑)

2-2 中高生時代

中学校へ進学と同時に、幼馴染みの1学年上の先輩の影響を受けて入った部活で始めた、当時はマイナースポーツだったサッカーにドはまりし、その後、高校3年生の引退するまでの約6年間はほぼ、サッカーの思い出しか残っていないくらいのサッカー少年。ちなみに恋愛のほうはというと、思春期に入ってから、急に女子と話すとき限定の赤面症&あがり症になってしまうという謎の症状が現れて、彼女なしという悶々とした青春の日々でした(笑)

2-3 専門学校時代

当初は1年間の浪人をしてまで、大学への進学を目指していたものの、父の病気のことなどもあり、IT系の専門学校へ進学し、その流れでIT系の会社へ就職するという流れとなるわけですが、当時の記憶を辿るとバイトと美容クリニックの思い出が(笑)当時、中高生時代に悩まされたニキビのニキビ跡がすさまじく、コンプレックスとなっていたことから、東京都内の専門学校に進学と同時にバイトで稼ぎ、美容クリニックにつぎ込むという、まあよくありがちな生活を送っていました。結果、ある程度の効果があり、バイト仲間の女子と仕事を通じて、コミュニケーションを取らざるを得ないという環境のおかげもあって、女子に対する赤面症&あがり症も克服することが出来たのです。今振り返ると、このエピソードは、人として成長する上でも、事業を行って行く上でも、避けて通れない出来事で、成功体験の一つとして自分の中に刻み込まれたと思います。

2-4 【番外編】とにかく「遊ぶ」ことが好きだった青年期

サッカー、スノーボード、ウインドサーフィン、そして競馬。20代前半~30代前半までは、週末はほぼ、これらの趣味に時間を費やすという、今では考えられない遊び中心の生活でお金には無頓着。極めつけは、20代後半に地元へUターンすることになったのですが、最大の理由は、趣味を行うのにベストな環境だったから(笑)そんな僕が、真逆の仕事人間に変わった出来事とは。。後ほどのお楽しみに!

2-5 IT業界時代

時代背景としては、昭和から平成に変わった頃で、バブル経済真っ只中。上場企業を中心とした顧客企業から受注したシステム開発を担当する部門にいましたが、入社2~3年目の20代半ばでプロジェクトリーダーを任されたものの、同じプロジェクトには自分より年上かつ経験豊富な、協力会社の方々や中途採用の後輩社員が多数を占める中で、リーダーとしては身分不相応な頼りにならない存在で、かなりテンパってました(^^; が、振り返ると、このときに率直な意見やアドバイスをもらったことで、自分では気づいていなかった改善すべき点を知ることが出来たことは、その後に生きる貴重な経験となりました。

2-6 金融業界への転身

バブル経済崩壊直後、地元へUターンすることになり(前述にある不純な動機で)信用金庫のIT部門へ転職したのですが、そこは支店長経験のある父親の勤め先であったことから、まさに父親の信用だけで採用になったようなもの。また、この転職がターニングポイントの一つで、今のFPという職業につくこととなるキッカケとなったのですが、当時はそれに対して感謝をするという感覚を持っておらず、その感覚が、後に苦労をする結果となったのですが。。

2-6-1 義父の死が仕事に対する向き合い方を変えた

信金への転職後、前職時に知り合った女性(家内)と結婚。娘も授かり、仕事面ではIT部門での人員が必要なくなったことから、融資や渉外といったお客様と接する業務を担当しつつ知識の習得と経験を積み、振り返ると、この頃が家族としては最も幸せな時期でした。そんな中、義父が57歳という今の僕とほぼ変わらない若さで「がん」で亡くなるという悲しい出来事が。。「困っている人を助けたい」それが、これまでとは仕事に対する向き合い方が180度変わり、お金のお医者さんとも言われているFP資格を取得、今に繋がるターニングポイントとなったのです。

2-6-2 地域の信金マンから世界最大の外資系証券コンサルタントへ

「将来の年金がどうなるかわからない」20年以上前の当時から言われ始めており、取得したFP資格を生かして資産形成のお手伝いがしたい!お役に立ちたい!という想いだけで、終身雇用の日本型会社組織から卒業し、成果によって報酬や雇用が左右される環境へ飛び込むこととなったのが、当時、個人の資産形成のアドバイス業務で100年以上の歴史のある世界最大の米国の外資系証券会社へ、ノウハウを学び、経験を積みたい一心で転職。今に至る人生の中で最も勉強したのがこの頃で、ここでの経験がその後、FPとして20年以上の活動を支えることになりました。ただ、2001年9月11日に起こった、米国で起こった同時多発テロがきっかけとなり業務を縮小。翌年春には、会社都合による転職を余儀なくされたのです。

2-6-4 FPという肩書を持った保険募集人へ

希望を持って転職した外資系証券でのコンサルタントという職業を、わずか1年で手放すことになったのは、とても残念なことでした。しかし、ピンチはチャンスでもあり、外資系生保への転職によりFPとして欠かせない生命保険を扱える機会を得たことが、20年以上の活動の原動力となったわけで、チャンスを手にしたと言えると思います。

2-6-5 負のサイクル

一方、転職してから7年後に起こったリーマン・ショックで転職を余儀なくされ、移った先の複数社乗合いの生損保代理店では5年後に廃業してしまうなど、その後も保険募集人という立場であるが故に、環境を変えても仕事を続けることは出来てはいたものの、成果報酬型という報酬体系により、世帯主として家族の生活を守る立場でもあることから、時には稼ぐことを優先させざるを得ない苦しい状況に陥ったことも。これが冒頭にお伝えした、お客様へのアドバイスに偏りが出てしまうことへの罪悪感を感じる元凶でして、そのジレンマをずっと抱えながらやってきたというのが実情です。

2-6-6 追い込まれると人は変わる

上記にあります、保険代理店が廃業したときは保険募集による収入が半年ほどなくて、大学への進学を控えている娘の学資目的の貯蓄を泣く泣く取り崩したり、それでも足りずにカードローンで借金したりと、稼ぐ力を失ったときに経済的にも精神的にも追い込まれていく苦しみというものを、実体験したのがこの頃です。人は追い込まれていくと、自尊心というものを失ってしまい、まともな判断が出来なくなってしまうもの。当時、FPという立ち位置でも出来る保険以外の収入源になり得る手段がいくつかあって、ただそれがネットワークビジネスだったり、グレーなものだったりするので、しっかり稼げている状況のときであれば一切見向きもしないものに、誘惑に負けて関わるようになったのがこの時期でした。。

2-6-7 理解者である大切な人への向き合い方

仕事が上手くいかなくなると家庭生活にも影響が出るもので、僕の場合は日々の生活もままならなくなるほど収入が減ったことが発端となり、ちょっとしたことでキレて夫婦喧嘩に発展。また、娘に感情的に接してしまったり。自身の不安やストレスのはけ口を怒りという形で家族に向けてしまうという、最悪なことをしてしまったのです。尚、この段階で、一番の理解者である家内に相談すべきところを、「仕事が上手くいっていないことを打ち明けるのが恥ずかしい、何らかの手段で収入さえ確保出来たら良いだろう」こんな愚かな考えで行動した結果が、負のサイクルにつながり、家族に対しても迷惑をかけてしまう結果となったのです。

2-6-8 苦しみからの解放と代償

中にはまともなものもありましたが、長続きしない仕組みだったり、見てくれは良さそうだけど、中身は??とか、FXや仮想通貨などの認知されている投資を絡めたネットワークビジネスだったりといったものが大半を占めており、人のつながりで広がっていく仕組み、かつ、結構多くの人が関わっているという安心感から、日本人特有の性質を生かしやすいビジネスであり、投資関連に至っては、金融リテラシーが低いとされる日本人にはうってつけで、そういったビジネスを組成するほうからしたら、非常に仕掛けやすい環境なのが残念ながら日本なのです。ここに苦し紛れに足を踏み入れてしまったことで、一時的には収入を得ることが出来、生活もギリギリ破綻することなく乗り切れたのですが、反面、大切な知人や友人に迷惑をかけてしまうような結果になったケースもあり、特にFPという倫理観も求められる職業に就いている者としては、その資格を奪われることになっても致し方無しという、それくらい大きな代償を抱えることとなったのです。

3.どん底の人生から這い上がってわかったこと

このようにして、人のお役に立ちたいという想いで始めたFP業なのに、逆に迷惑をかけることになってしまったのは、自分自身の弱点を認めようとせず、放置していたことに他ならない。家族に対してもそうです。これに尽きます。失敗を恐れずに行動するポジティブさは大事なこと。しかし、失敗をしたときの影響を予測することや失敗をしたときのリカバリーが出来るのか?を考えずに行動することは、まるで何も知らない、無邪気に好奇心のみで行動する子どもそのものでした。。尚、その後、そこに気づくことになるキッカケがあったのですが、個性心理學という統計学との出会いでして、これを学ぶことで自己分析(生まれ持った個性と宿命を知り、それ通りに生きることが成功につながるという考え)を行い、実践することで、這い上がることが出来たのです。そんな僕の個性の一部ですが、良かったらご覧下さい。

いかがでしょう?描かれている動物キャラのイラストが、個性を上手く表現出来ていますよね。ちなみに、ハンドルネームのSHISHIは、ライオンのキャラから付けたもの。ちなみに、「傷つきやすいライオン」のキャラで成功している有名人には、三浦和良さん(通称カズ、サッカー元日本代表)井上尚也さん(プロボクサー、三団体統一王者)吉田沙保里さん(元レスリング選手、金メダリスト)向井理さん(俳優)などがおり、特にカズ選手は、学年でいうと同学年でサッカーという共通点があり、今も現役で活躍している姿に自分自身を重ねてみることで、奮い立たせる原動力にもなっています。ところで、自分を救ってくれた、この個性心理學についても、別にお伝えする機会があればと考えておりまして、伝えたいことも山ほどあるのですが、ここまでにしておきます。

4.お伝えしたいこと

人は、お金、人間関係、健康のどれかで必ず苦労すると言われています。ただ、原因自分論という考え方を前提にお伝えすると、どれも自分自身の考え方・行動次第で予防することが出来るのです。そこで、前述の個性心理學で知った僕の役割の一つに「世のため人のために生きる」があります。この役割を果たすために、「このブログを通じ、日本人の金融リテラシーを高めることで、お金で失敗する人・苦労する人をつくらない」というミッションを掲げます。また、お金の失敗は人生においての考え方や価値観に起因することもありますので、自身の失敗から学ぶことの出来た人生論的なことも、個性心理學も用いながらお伝えしますので、よろしくお願いいたします。

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